どうでもいい人から言われる言葉に動じることは、驚くほどなくなった。
それは、前は口だけの無関心だったのに、今はホントに無関心だからなんだと思う。

現に私は学校にいるとき、すごく不思議な感覚を味わってしまう。
幽体離脱でもしているような、気分。
口ではすっごい嫌なんだけどーといいつつ、
心の中は物凄く穏やかで
むしろ、心と頭が、体を第三者的に見つめている感じというのが正しくって。

だから、学校にいるとき、何についても無関心で、
今まで、怒っていた筈のことについて本当に関心がなくなってしまって、
「ふぅん。そうなんだ。」ぐらいにしか思わない自分がいる。

いや、むしろ、それすら思わないときだってある。
わたしの隣でそれについて友達が怒ってても、何も思わない。
たまに感心(よく疲れないなぁ)と不思議(なんでおこってんのかな?)に思うだけで。

凄いなぁと思う、自分が。
ほんとに、学校で味わえる幸せも含めてどうでもいいと思ったから無関心になったことが嬉しい。

強くなれた気がする。自分の理想に一歩近づいて、幸せになる。


だけど、自分が大事に思う人や大切な人、
自分を理解してくれると思ってる人(単なる誤解と勘違いにすぎないけど)
自分を理解してほしい人(そんなの無理なのにね)たちに
言われる言葉には過敏に反応して

こんなにも動揺して、引きずってしまう。

実は一番傷ついてる時、強がって笑うわたし。

泣けるときや苦しいことを表現できるときのわたしは
切羽詰ってなくて、余裕があるときなんだ。
本来すごく強がりでプライドが高くて可愛げのかけらもなくて全てに理屈をつけたがる昔のわたしが顔を出すから。

だから、つまり。
本質的なところは、結局変われない。
今のわたしは。昔と正反対でいるつもりだけど、でも、本質的にはかわらない。

追い詰められた時、わたしは笑う。強がりで。
追い詰められた時、負けず嫌いのわたしが顔をだす。
限界にきてても、絶対見破られないように頑張ってしまう。

素直に泣けば、楽なのに、強がるから、一人で泣く。
そんな自分が、二重で嫌で。
本質的に何も変わっていない自分に腹が立って
そして、動揺して引きずる自分に腹が立つ。

でも悲しいことを感じなくなる代償に
学校でのように不思議な感じを味わい生活し続け
幸福感も得られなくなるのなら、
わたしはせめて、好意を持っている人たちだけには
関心を持ち続けたいと思うのだけど。

強そうに見えるくせに、傷に弱すぎるわたしは、限界ギリギリ、ボロボロ。

今は、可愛く泣く術も怒ってみせる術も持っていなくて
ただ、何をされても笑うしかない。

休みが欲しい。傷を癒したい。
でないと、自分を嫌いな時に戻ってしまいそうで、怖い。