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期待しなければ、毎日がすごい幸せだけで終わるのに。
期待しなければ、イライラすることも悲しむことも何もかも、ないのに。
わかってても、心のどこかで期待しちゃう。
期待出来ない毎日をこなしていくだけの人生って、つまらなさそう。
だけど、期待して、そのたび裏切られた気分になって、
イライラを抑えるのに必死で悲しむことをやめようとするのに必死で。
期待して、現実におこったことが期待してたことと著しく違うと、
ただ凹むとか、イライラするとか、それだけじゃなくって
裏切られた気分になる。
かってに期待して失望すんなと思うかもしれないけど、これは、その人個人ではなく、自分の中のその人の印象が崩れるっていう表現のが正しくて。
だから、ホントに裏切られたときと同じように、自分の中で線をひく。
「あぁ、こういう人なんだ(だから次からはもう期待しない)」
そういう風に思うことによって、イライラはとまる。代わりに、悲しくなる。
感情はいくらだって治るし、反動をつけることで幸せになれることはいっぱいある。
だからこそ、どんなにつらいことがあってもわたしたちは生きていけるし、
あきらめないで夢に向かって走ることができる。
でも、そういう物ってなかなか治らなくて。
心証とかがそれによって落ちたり持っている感情が下がったりすることはないけれど、代わりにその人に対する信憑性が少しずつ下がる。
期待したら痛い目しかみないなら、期待は出来ないわけで、期待できないってことは、やっぱり言葉の一つ一つを探ってしまうわけで。
期待してなかったら、その分感情が上がるとき、幸せになるとき、それは大きいっていうけど、それはうそ。
期待値が限りなく少ないから幸せになれるけど、やっぱり下がったら、つらいことがあったら、ガッカリするし凹む。
だから、心の中の距離が離れる。膜みたいな壁が、感情を邪魔する。
わたしには、それが怖い。
コントロールできない心の中なのに、相手に接するときの距離とか壁の厚さとか。
それすら支配できないなんて、怖すぎる。
防衛本能だからね、傷をうけて距離が離れたり感情を邪魔されるのは。
だから、ずっと期待しないように生きてきた。
ちょっと幸せすぎたのかな。もっと期待しないようにしないと。
初めからすべてに対する期待値が少なければ
これだ!って思うときだけ期待値を上げることができる。
初めからすべてに対する期待値が高ければ
コントロールできないから、生きていくうえでたくさん傷つく。凹む。
夢から現実に醒めてしまう。
心地よい夢なのに、急に醒めて、欝になる。
長い夢をみてたのに。すごい、いい夢。
久しぶりに、厭な現実に遭遇。
また、いい長い夢が見たい。今度は、すっごい深いやつ。
に、しても、まだ凹み具合が止まらない。
...距離、離れちゃうのかな。
どうせ距離なんて、1分も会話すればがんがん動いていくものだけど。
それでもやっぱり、厭な気持ちになる。
凹む。