達観していると、まわりはわたしを言うのだけど。
そんなの当たり前。
ある意味で自分が興味がもてない世界、
むしろ、自分がいない世界に対して、
自殺願望もなければ特別思うこともない。
これはこうでないといけないという考えが無い。
だから理は常にわたしに。
なぜなら、何もないから。
それを達観と呼ぶのは、何か違うかもしれない。
だけど。
この年だから達観とみられても、仕方ないのかもしれない。
だって、持っている世界が少ないからね。


大方みんなが興味ないであろう、人生に対するわたしの個人的理念を述べると、
目の前にある現実が、今の自分のすべてだから、
受け入れずのけることは、ナンセンスだと思う。


年をとればとるほど、受け入れることを覚えてくると思うけどね、きっと。
得に女の人は、そう。
男の人は、わかんない。
プライドを持ち続けてるのかな。
プライドを持ち続けたいと思ってたら無理だろうな。
プライドを保つこと以上に大事なものに気づけたら、きっと違うんだろうな。


わたしが知ってる大人の女の人(主に30代〜40代)はとっても柔らかいよ。
棘がない。まぁるい石みたい。
優しくて、素敵。
棘がある女性は、薔薇みたいに綺麗な人もいるけど、
きっといいお母さんにはなれないんだろうなぁって思うよ。


抗わず沈まず、漂いたいっていう概念をみんなきっと持ってるんだろうなぁ。


わたしはまだ、やっぱり抗ってしまう。
上へ、上へっていこうとしてしまう部分が残ってる。

だけど、基本スタンスは
ただ、漂いたい。波間にそっと。
沈まずに漂っていたい。ただ、それだけ。

だから、受け入れることに大した抵抗も抱かない。
自分の中で一番、自信がもてるのは、
小学生のときから環境適応能力がめちゃめちゃに高かったこと。
(何かのテストの結果だったはず)
それは即ち、その概念を小さいときから抱いていたからなんだけれど。


目の前にある現実がすべてでそれを跳ね除けようとすることは
無意味だと感じた時は、多分小学校3年生が最初。


親が離婚して、パパとママに毎日会えなくなるのがやで、
泣いて家出も考えたりいろいろしたけど、結局何も変わらない。


ディベートを覚えて、クラスメイトとの口喧嘩は、
今振りかえってもわたしのが正しいことを言ってた。
みんな理論でわたしに勝てなかった。みんな黙ってた。
だけど最後に、男子たちが浴びせる罵倒だとか暴力には勝てなくて、
わたしのが正しいこといってるのに、っていつも悔しかった。


ディベート倶楽部の大会で、わたし個人でがんばって準優勝したのに、
3年生だったからという理由で、倶楽部全体の手柄にされた。
他の倶楽部はみんな、個人で優勝したら名前を発表されるのに…


小さいときからずっと続けてた華道で、
わたしのが先輩より実力あったのに、
先輩だからという理由で校内コンクールで優勝させてもらえなかったし、
(しかもそれを後から先生がわたしにわざわざ言いに来て、謝られた)


クラスメイトの持ち物がなくなって、
わたしとそのクラスメイトの仲が悪かったというだけで犯人扱いされて、
先生はアリバイとかで認めてくれたけど、
クラスメイトは誰一人として認めてくれなかった。
ところが、後から犯人がでてきたら、みんな手のひらを返した。



わたしは知ってる。
変わるものは時がたてば変わる。
わたしみたいな小さい存在がいくらあがいたところで変わらない、何も。
なぁんにも。
どんな些細な事だって同じ。
自分以外の何も、変えることはできない、非力なことを。
わたしは知ってる。

努力で何か変わるかもしれない、わからない。
だけど、そんなこと無意味だと思う。

バトルロワイアルの川田の台詞。

「歴史の波みたいなものがあると思う。」

「ある時、ある条件がそろったら、ほっといてもこの国は変わるだろう。
それが戦争なのか、革命なのか俺は知らない。
また、それがいつ来るのかも知らない。
あるいは、永遠にこないかもしれない。」

「さて、ここに腐った国がひとつある。
もしそれが気に入らないのなら、取るべき賢い方法というのは、
こんな国は捨てて、どこか別のところへ行ってしまうことだ。
国外脱出の方法はないわけじゃないからな。
そしたら、汚物の匂いを嗅ぐことなく暮らせる。(略)」

これが、すべて。
スケールは大きいけれど、これがすべてに当てはまることだと思う。

そう、受け入れる、即ち、逃げること。
自分の考え方、価値観を強引に変えて、事実、現実と反発することを避ける。
つまり、逃げの考え方だ。

逃げることはかっこ悪い。確かに、そう。
でもそれがおろかな方法じゃ、ない。
むしろ、とても賢い方法。

だから、自分がいない世界に対して興味がないというのは、そういうことで、
わたしは政治家云々とか日本の政治がどうだとか言うつもりはないんだけれど、
政治問題に大して一応知識を持っていることが象徴する通り、
興味がないから何もしないのではなく、知っても何も感じないということで。

話はそれたけれど、わたしがとっている方法というのは、達観しているんだと思う。
だって、これが、真理・道理だもの。
一番、うまく生きていく方法だと、思う。

でも、自分の考え方にそうやって自信があっても、すべてにおいて逃げれないのは、
抗おうとしてしまうのは、


わたしのもってる、若さなんだよね。